東日本大震災(第2回) 神戸の記憶と当日の決断 

2011-05-27
1995年1月。
阪神国道、武庫川を渡り西宮に入ったとたん、だんだん周囲の様子がおかしくなり。


川を越える事が多い道でした。
橋の部分が妙に盛り上がり、乗り上げるたびフル積載のバイクはリアサスペンションが底尽きします。アスファルト面に亀裂もあり慎重な運転を強いられます。
一階は潰れ二階部分だけが残る家屋が見え始め、さらに1km進むとすさまじい光景が目に飛び込んできました。

もし戦争を体験したのなら、破壊とはこうなのだと身震いしながら神戸市へ。

大渋滞は1cmも車列が進む気配なく、路肩をすり抜けるも家屋が道路側へ激しく傾き、すぐ頭上に壁面がある状態。
大阪市城東区の個人のお宅で積み込んだ荷物はペットボトルの水に携帯コンロのカセット、食料品。
ボックスの隙間という隙間に小さなお菓子や板海苔までぎゅうぎゅうに詰め込んだご主人「たのむで!なんとか届けてや。まともに動いてるのはバイク便しかおらん。」

全くすり抜けできず停止状態が30分続いたり、渋滞中の車のドアが突然開いたり。原付スクーターの方々は、みな歩道へバイクを手で持ち上げ走っていきます。
これまでに体験した事のない異常な状況でした。

市内の地図を持っていたものの、いたるところで通行止め迂回の連続。夜だった事もあり方向感覚も失くしていました。
警察署発行の緊急通行許可標章をバイクに掲示していましたが、大都市内で緊急通行路の確保は事実上不可能。車やバイクが溢れかえっています。

出発前に会社から、1リットル容量の予備ガソリンボトルを支給され「事故を起こすな。怪我をしても救急車は来ない」と厳しく警告を受けての配送業務。

たどり着いたのは長田区の小学校。

お届け主を探すにも探せないほど多くの避難の方。ご本人を見つけるまでに更に2時間費やしました。
その老婦人は涙を流し「あんたも大変だったろうに、これを持って行きなさい」とお届けした物資の中から缶コーヒーを私に。固辞しましたが押し戻され、が続きついに私が折れて頂いて帰りました。

寒くて道中トイレをずっと我慢していました。学校内のトイレに行くと、水が出ない大便器はすさまじい光景、あきらめました。
コンビニは営業しておらず飲料の自動販売機は全て売り切れ。頂いた冷たいコーヒーを飲みつつ、三宮まで戻り今度は在京キー局の中継車そばでテープが出来上がるのを数時間待ち、伊丹空港へ。マイクロウェーブだけでは映像を送り切れないからです。


朝すり抜けて追い越したトラックを夕方また追い越した時、数キロしか進んでいない事もありました。

これが発生から1週間未満の神戸の様子です。
大阪と神戸を何往復したかは覚えていませんが「なぜ無傷の都市がこんなに近いのに、物資が行き渡らないのか」という疑問を胸に走り続けました。
発生当日の東名高速では数百台を超える自衛隊のトラックを横に見つつ、西を目指しました。
自衛官の方々との交流もずいぶん持たせて頂き、ご苦労も知りました。

大阪営業所への支援が落ち着き東京の自宅へ帰ったのは3週間後、2歳の娘は私の顔を忘れていました。

抜けるような碧い空と寒さ、緊急車両のサイレン音は今でも昨日の事のように思い出されます。
オートバイの有用性を感じ、仕事への誇りとモチベーションを確認した16年前の出来事でした。私の人生で大きな事件です。


2011年3月11日、宮城県沖を震源にした超巨大地震による大きな被害に私たちは大きな衝撃を受けました。
東京の事業所でも書庫が倒れ、オートバイを倒した、という報告も何件かありました。


バイクに何が出来るか、被災地で何をすべきか、発生30分後には議論を始めました。
しかし東京の交通インフラも全停止に近い状況、パニックが起きつつありました。今すぐ1分後に起こすべき行動がある、という結論が下りました。


とにかくコールセンターの受話器を上げ、目の前のオーダーに全力を尽くす事。まずは東京の正常化に一役買おう、という結論を。

次回へ続く。



地震発生から10分後、お台場方向のビル屋上で火災が発生。人も車も何か憑かれたように静かに黙々と移動する中、大量の緊急車両がサイレンを鳴らし始めたのが印象に残ります。
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By-Qの本社から30メートルほどの場所。地震から1時間経過し液状化現象が始まる。泥土が道路から勢いよく吹き出し始めました。(東京都江東区辰巳)
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東日本大震災 これまでの記録と復興への祈念

2011-05-21

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 東日本大震災の猛威により5月20日現在1万5148名の尊い命が失われ、8881名の方々の行方が判明しておりません。
亡くなられた方々の冥福を心よりお祈りし、1名でも多くの方が無事に発見されるよう願っております。私達もまだあきらめておりません。
大切な人を亡くされたお気持ち計り知れず、住居や財産、そして職を失われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

ご両親を亡くされたお子様方、お子様を亡くされた親御さま。計り知れない悲しみがいつの日か癒されることを願ってやみません。

現在も避難生活を強いられる皆様が一刻も早く平穏な日々を再びすごせるよう、私達日本国民全員で支援してまいります。

被災された企業さまにも元気と支援を注ぎ込むべく「今できることを全力で」行い、私達は経済活動にもしっかり励みます。


弊社にとっても怒涛のような2ヶ月間、混乱と闘いの連続でもありました。

バイク便から見た大震災の記録、これからの復興支援について、何回か分けて報告をさせていただきます。
By-Qオフィシャルサイト内の特設ページにも震災の記録を掲載しております。

経済低迷という第四の危機を、日本が一致団結し乗り越えていかなくてはならないと思います。

がんばろう、日本!

バイク便の視点から二輪駐車事情

2011-02-07
ある二輪誌の編集者さんが個人スタンスで企画した
「バイクパーキングありがとう&これからもよろしくミーティング」にお邪魔させて頂きました。

場所は表参道、Gucci前に設置される二輪用パーキング。

みなさまの愛車、おっきくてピカピカでかっこいいのばっかり。
私はといえば、BOX搭載でまるっきり業務スタイル。
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>表参道バイク用パーキング・チケットを満車にすることで、
>バイク駐車場を整備してくれたみなさんに「お礼」のキモチを表してみませんか?

編集者さんがTwitterで呼びかけ、20数名のバイカーさんが集まりました。
長野など遠方から来られた方も。大変お疲れさまでした。
何をするというわけでなくバイクをパーキングに駐車し、おしゃべりして解散!というもの。
2回目以降の構想もあるようで、楽しみです。


改正道路交通法により2006年から、放置駐車の確認事務を民間に委託できるようになりました。
グリーンの制服、駐車監視員のスタートです。

放置駐車車両を写真撮影などで確認し、放置車両確認標章を貼り付けます。
監視員は反則切符を交付しませんので、違反者は

1.警察署へ出頭し反則切符交付を受け、反則金を納付する。
2.出頭せず放置。車両所有者が放置違反金を納付する。

1の場合は当然、違反点数も科せられます。
2を6カ月以内に3回以上繰り返すと、車両の使用制限命令を公安委員会から受ける事があります。

ここまでが概要です。

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放置駐車取り締まり手続きが簡単になり、私たちの業界でも大きな騒ぎとなり不安や憶測が飛び交いました。『緊急配達中・すぐ戻ります』というプレートを配布したりしましたが、確認標章を取り付けられる事例が相次ぎ、ひどいケースは1日に3回貼られてしまったというライダーさんも。

特に厳しい状況だった銀座周辺の配達は拒否したい、という声も上がりました。
宅配便業界は繁華街での集配に自転車や徒歩へシフトが始まり、当社でもハンドキャリー(公共交通機関を利用した配送)や自転車インフラの強化を進めました。

しかし宅配便のようなハブ&スポークの配送システムではない緊急配送は、どうしてもバイクを使わざるを得ないケースが多く、苦悩が続きました。二輪車用の駐車場整備は進まず、四輪駐車場にやむを得ず停め苦情を頂く事例も増加。ビルの駐車場への入場も「二輪車は不可」とお断りされ。


1年ほど前から、少しだけ状況が改善してきたとの声を聞く事が多くなり、新たに竣工する巨大ビルでは二輪駐車スペースが設置され、「バイクお断り」だったオフィスビルでも入場を許して頂く事が増えました。

私たちの一番の強みは、スペースを取らないバイクが「さっ」とお客様の前へ駆けつけ、「ひゅっ」と立ち去る事。
思えば炭疽菌テロが米国で発生して以降、ビル内への入館手続きが一斉に複雑化し、短時間だけバイクから離れるという事が不可能となりました。
二輪の利点がスポイルされてしまいます。
入館で時間を要した分を「走り」でカバーするわけにはいきません。

企業としては、お客様の利便性とライダーを守るために、二輪車の「敷地立ち入り」「駐車場利用」のお願いをこれからもビル管理者の方へ地道に続けます。


冒頭の「個人の行動」はとても意義あると感じ、継続させて輪が広がればいいな、とも考えます。バイク乗りはもっと結束すべきとも感じています。
個人だけでなく、私たちの業界も同様です。



海外の駐車環境ですが、下はフランスです。2ROUESの表示、バイクパーキングスペースが。
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オープンカフェ目の前へバイクを乗りつけられる写真がイタリアの様子です。
ヨーロッパの方が二輪のモータリゼーションが進んでいる、とよくお聞きします。実際、自分の目でもそう感じた事があります。
街の雰囲気とバイクがとてもよくマッチングしてるとも感じましたが、今回の表参道だってヨーロッパにひけを取らない雰囲気と思います。表参道駅から地上に出た瞬間、路肩に整備されたバイクパーキングを外国の方が見れば「日本は先進的」とのイメージを持たれるかもしれません。

私、仕事でお客様を訪問したり休日に外出する時、場所によってはバイクを使うの躊躇します。四輪車パーキングはいくらでも見つかるからです。
出かける前に場所を確認しなくても、バイク用パーキングが簡単に見つけられる環境になれば、環境インパクトの少ないバイクの利用がもっと進むかと考えます。
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おっかけ

2011-01-25
「プレスライダーという仕事」の記事で触れましたが「追っかけ」という特殊な業務がございます。

私たちは探偵業ではありませんので「主人が浮気してるらしいので後をつけて!」というご注文はお受けできません。

でも、ご注文実績が多い一部のお客様からの「素性がはっきりしている追っかけ」は承る場合があります。おもにテレビ局さんからのご依頼です。

たまたま、明日以降の配送ご予約を端末で見ていたら「追っかけ」のご依頼を発見しました。

ワイドショーでもよく見かける、あるタレントさんのご自宅付近で待機。
車で出発したらバイクで追尾し目的地で、ある事を確認しテレビスタッフさんへ報告する内容です。

毎日あるわけではありませんが、時折こういったご注文を見かけます。

責任重大ですcoldsweats02    誰が走るか・・・。

いつ出発するかも分からず、長い待機になりそうです。

悩ましいです。

昔はこうした「追っかけ」の時、首都高の料金所で支払いをスムーズに済ませてしまう四輪車を見失わないよう、『首都高回数券』をハンドル周りのどこかに挟んでおくのがマストでした。

横羽に入られてしまい、神奈川線の回数券を準備してなくて大慌て、なんて事もありました。

今はETCがあるのでとても、非常に、かなり楽ちんです。

首都高回数券・・・。

とても懐かしいです。

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プレスライダーという仕事

2011-01-21
私たちと風貌は違いトランクを搭載しません。新聞社や通信社、テレビ局から貸り上げられ、緊急の素材輸送から定期輸送まで行います。

フロントフォークに報道従事を示す社旗を取り付けるためのポール(社旗棒)を取りつけ、「いざ」という一大事は社旗をなびかせ走行します。
社旗に法律根拠はないのですが、警備が厳格な状況では一般車と異なる対応もあったりします。

とはいえ、最近では社旗を付けなかったり、トランクを積むプレスライダーも多くなってます。
そうしたバイク達を「プレス」とか「局車(きょくしゃ)」とバイク便ライダーは呼んでいますが、逆に彼らはバイク便の事を「箱屋さん」などと呼ぶ事もあります。
プレスとバイク便は似て非なるものであるし、似た者同士とも言えます。


報道機関に常駐し、事件が起きれば記者さんやカメラマンと行動し、報道素材を持ち帰りニュースに間に合せます。
時の人が乗る車を追跡する「追っかけ」などと言うことも担当します。
某宗教団体の代表が逮捕された日は、高価な放送カメラをタンクに取りつけ、容疑者を乗せた捜査車両を山梨県の上九一色から都内まで撮影し続け、生中継で流し続けました。
が、そこに至るまでには気の遠くなる日数の現場待機もあったのです。
待機との闘いです。


平時は官庁街の記者クラブへFAX用紙や新聞を届けたり、と単調な日々を繰り返します。野球シーズンは毎日、ナイター試合で球場回りを。悪天候の中、延々と青梅街道を西武ドームへ走る道のりはなかなか大変です。

バイク便会社でも、大事件で局車が目いっぱい出払っている時は「追っかけ」にも参戦したり、局車を利用できないワイドショー部門からのご依頼で何時間も現場待機し、テープを受け取り持ち帰ったり、なんてことも。


大昔、伝書鳩。一昔前、プレスライダー。今、個人携行電送装置。
スチール写真はフィルム現像不要となり、画は無線インターネットで。
映像も携帯型中継装置で。

バイクの需要が減りつつあります。


とはいえ必要として頂く機会はまだ多く「オートバイさん」と親しみを込めて呼んで頂いています。

神戸や中越での大地震では、報道素材輸送でバイク便が大活躍しました。
報道バイク会社では、マラソン大会でカメラバイクの運用も行っています。

昔、汚職事件で拘留中だった代議士が釈放され、拘置所から迎えの車が出発した時。
20台以上の追っかけ局車が首都高で全て落伍した「逃げ専門ドライバー」なんて存在もありました。

愛車と自分の腕を信じ、絶対に事故を起こせない厳しい職業です。
今ではプレスが社旗をなびかせる機会もあまりありませんが、旗をパタパタさせてる時の緊張、自分の運んでる素材がニュースのトップになる興奮は一度体験したら忘れられません。


海外は少し事情が違い、ジャーナリスト自らバイクを運転する「パパラッチ」という職業が。ダイアナ妃の交通事故では、事故直後の救助に参加せず撮り続けていた、という話も残っています。
あまりイメージがよろしくないようですが、日本の「職業ライダー達」は、範を示すべく素敵なライドを続けて欲しいと思います。

おとなり韓国のバイク便事情

2010-12-09

先日、韓国のバイク便「クイックコール社」(同社WEBサイトへのリンク)の社員さんがご来社されました。お迎えの時、勇気を出し「あ、あんにょんはせよ」と挨拶しましたが、「こんにちは!」と流暢に返されてしまい赤面です。

来年から新社長、という30代の若い幹部さん、立派なプレゼン&ディスカッション資料を持参されました。資料のできばえや製本の仕方など、広告代理店製?と思えるほどの立派な物で、大変勉強になります。

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韓国でも「バイク便」の仕組みは以前からありましたが、フリーランスのライダーがさまざまな運送会社から仕事を受け配送しています。
バイクは日本のようなトランクを搭載せず、かつての「ふとん屋さん」ようにキャリアに山のような荷物を積むそうです。
バイクはヤマハのマジェスティが大人気との事で、大排気量のスーパースポーツも使われます。

クイックコール社は韓国では唯一、専属のライダーと統一したユニフォームやトランクを装着し「日本式」で事業を行っています。
以前から何度も来日し、街中のバイク便ライダーから送り状をもらったりしながら研究し、今のビジネスモデルを構築したそうです。

ライダー数は350~400名、首都圏に14の支店を持ち全国ネットワークも確立。
取引顧客は現代、大宇、LGグループといった大企業も含まれている。
資本金25億ウォン(1億7500万JPYEN)、今年の月間平均売上は4億5千万ウォン(3150万JPYEN)、立派な内容です。
私達はご料金を現金orご請求書扱いで頂戴しますが、韓国ではクレジットカード比率がかなり多く、ライダー全員が決済端末を装備しています。これは当社でも参考にしなければ、と感じました。
顧客に荷物のサイズをいくら説明しても制限を守って頂けず、2メートル近いパイプなどザラなそうです。皆、なんとか運んでいるそうですが日本では道路交通法が許しません。

コールセンターや配車システムは、日本と同様に完全IT化されています。
インターネット経由で韓国本社と接続しシステムのデモを見せて頂きましたが、相当な作りこみがなされ高機能な事はなんとなく分かりました。ライダーは歩合制という事で、各自の売り上げを閲覧する画面も見せて頂きました。高収入なライダーは一カ月に日本円で50万円以上受け取るようです。
受付オペレーター各自のデスクには小さい鏡を置いているそうです。電話業務でも「笑顔」が大切、日本と同じですねー。
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数時間のコミュニケーションでしたが、弊社の社員でネイティブハングルな者がおり助かりました。日本語、英語、中国語、韓国語4カ国堪能で、外国のお客様からのご注文はいつも大活躍です。

とても勉強熱心で聡明な幹部さんで、その知識や熱意に感心しました。
「韓国でも景気が後退し、荷物を単純に運ぶだけでは生き残れないと思い、今回はヒントを得るためお邪魔しました。」という事でしたが、我々の方があおられ気味で負けてられない、と強く思った次第です。
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北の大地へ しかもてっぺんへ旅レポ 完結編

2010-09-16

北海道なので、食べ物の事は書かねばなりません。

筆者は東京に住むようになってから、ラーメンをあまり食べなくなりましたが、帰省した時は毎日食べに行きます。稚内は人口の割にラーメン店が多いようです。札幌ラーメンではなく、旭川ラーメンの系統だと思います。

今回は「大王本店」へお邪魔しました。

濃い醤油味、シンプルな具、太めで黄色いちぢれた麺、表面に薄く浮かぶラード。
見るたび懐かしくてホッとします。右側は塩味。
今どきの流行ラーメンと比べ、シンプルというか素朴な感じです。一番の特徴は、表面のラードかも知れません。寒い地域なので、すぐ冷めないように、という伝統なのだそうです。

味の方は、おいしく頂きました。

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ジンギスカンは外せません。
北海道の家庭には必ず中央が盛り上がったジンギスカン鍋があります。そこらでラム(羊)肉は買えるので、思い立ったら手軽にぱっぱと始められます。この鍋は普通のカルビなどもおいしく焼けるので、一個ぐらい持っていても良いかと思います。

小型プロパンボンベとコンロを持つ家庭も多いので、天気がよければ庭にちゃぶ台を置いたり車のトランクに載せて気軽にどこかで、という事も多いです。

ようするにバーベキューですが、筆者が子どもの頃は学校のキャンプでもなんでも、バーベキューといえばジンギスカンでした。

カルビにビールも最高ですが、道産子としてはジンギスカンにビール、がやっぱりいいなーと思います。
旅ライダーが札幌に立寄った時にはぜひここへ、しかも宿泊場所にバイクを置いて行く事をお勧めします。札幌でサッポロの工場生ビールとジンギスカンは北海道だなー、と実感できます。

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「毛ガニ」
観光客価格店でしたが、それでも安いと思います。全部で5ハイ買って帰りました。

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カニを買ったその足で、鮨屋で小さな折を握っていただき、実家へ戻りました。
扶養家族が多く質素生活の筆者も「帰省時のこれぐらいはいいかなー」と贅沢させて頂きました。
今年の異常気象は最北の稚内も例外でなく、眠れないほどの暑さ。エアコンなどないので窓全開でカニをむしっていると、それでも北国らしい涼風が入る事があり、北の大地を満喫したお盆でした。

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右側の写真は、稚内特産の筆者イチオシつまみです。
大東食品「ポンタラ」。ここのじゃないとだめなんです。
スケトウダラを乾燥させたもので、ハサミで一口大に切って「マヨネーズ」「唐辛子」「醤油」とともに頂きます。個人的にはビールのお伴ベスト1だと思っています。
皮をはいでストーブの上で炙って、という風情もあったのですが、最近ではそのストーブがある家庭は減ってしまっているようです。

以上で「北の大地へ しかもてっぺんへ旅レポ」を完結させていただきます。
長々と失礼いたしました。

北の大地へ しかもてっぺんへ旅レポ vol.2

2010-09-14

昨日の記事に書いた緊急避難シェルターの追加です。正式には『パーキングシェルター』といい、ここは浜里パーキングシェルターという名称です。よくチャリダー・トホダーが雨宿りしています。

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JR最北端の駅「稚内駅」。くたびれてきた駅舎がそうとうな旅情を誘っています。レールの最終点や記念撮影でおなじみの方も多いのではないでしょうか。80年代バイクブームの頃はこの駅前に夜は無数のバイクが並び、無数のシュラフが軒下に並んでいました。筆者も帰省したくせに、わざわざ駅宿した事もありました。
時代は変わりライダーハウスが増え、テント装備のバイカーが増え、なにより旅ライダーが減ったことで閑散とした駅前広場になってしまいました。
もっと以前、筆者が子どもの頃は「カニ族」が待合室や軒下に寝袋をならべ、どこからかギターと歌声が聞こえてくる、いつも賑やかな駅前でした。

キスリングという横に大きく張り出したリュックとジーンズ姿、国鉄周遊券と時刻表を持つ旅行者たちは、リュックの幅が広すぎて列車通路を横向きで歩かなければ通れないので「カニ」と呼ばれていました。今では国内旅行も減り、車やバイクなどが普及したため、鉄道を使う長距離旅行者は鉄道ファン以外にあまり見かけなくなってしまいました。

当時は離島ブームでもあったので、みなこの終着駅から裏側のフェリー乗り場へ行き、礼文島・利尻島へ渡って行きました。「日本一きちがいの名物ユースホステル」なんてお話もありますが、それはまた次の機会に書かせて頂きます。
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しかし、久しぶりの故郷に驚愕の事態が。

駅前広場が一変し、近代的な建物ができあがっていました。バスターミナルやシネコンなどが入居する駅ビルのようです。稚内は長らく映画館空白時代が続いていたので、地元市民には待望のシネコンなのだそうです。空洞化してしまった中心部を、再開発で活性を図りたい計画のようです。どこの地方都市でも同じ悩みのようです。
しかし旅人の視線で見ればさびしい、複雑な気持ちもありますが、旅行者は基本無責任です。地元が便利になるのは喜ばしいとしなければなりません。でも旅愁たっぷりの旅館やお土産物屋さんが、だいぶ減ってしまいました。
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太平洋戦争中、最北端の駅は稚内駅でなく「稚内桟橋駅」でした。北に数百メートル進むと有名なドーム型防波堤がありますが、列車はそこまで走り貨客船に積みこまれ、樺太(サハリン)の大地へ乗り入れていました。
現在、サハリンへは稚内からフェリーが定期就航し、愛車とともに海を渡るライダーも多いと聞きます。しかし、サハリン航路も廃止の噂があるようです。もっといっぱい旅に出て、応援しなければと決意新たにしました。
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古い写真と切符をいつも手元に大事に置いています。
国鉄がJRになった年、青函連絡船が正式運行最後の年の夏に、愛車とともに津軽海峡を渡った記念品です。まだ私は何も知らない小僧で、青函連絡船が廃止になるなんて事すら知りませんでした。
船でも国鉄なので、乗船券ではなく「切符」でした。昭和62年8月2日、とあります。

昔は良かったなー、などとおっさんのような事を言うつもりはありませんが、もっと日本はオートバイが元気になって各メーカーから選びきれないほどの車種が発売されるようになれば、と心から願います。廃線が続く鉄道もさびしい限りで、私はどうやら「鉄」の素養があるかも知れません。
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続く (がんばります・・・)

北の大地へ しかもてっぺんへ旅レポ vol.1

2010-09-13

編集部代表で、旅レポをアップさせていただきます。
純粋な旅でなく実は筆者の帰省だったりするのですが、お許し下さい。
東京から直線1000km、鹿児島から1800kmの位置にある最北端の街、稚内を旅しました。

北海道は旅行した方ならご存知の通り「オートバイの桃源郷」。
昔ほどではありませんが、夏の北の大地はオートバイ旅行者であふれます。内地と少し違う大陸的な、それでいて旅人に親切な土地だからでしょうか。
今は死語ですが「ミツバチ族」(夏になるとブンブンとやってくる。バイクの大荷物はミツバチのお腹のよう)と呼び、夏の風物詩でした。
帰省の時は必ず東京からオートバイで走っていきましたが今回は無念、airplaneです。

実家で車を借りて近所を久しぶりにドライブしました。
数々のバイク雑誌で企画される「日本の名道ランキング」で圧倒的なトップ、『道道106号線』"日本海オロロンライン"のクライマックス、サロベツ原野のど真ん中です。
写真の場所は地図だとこのあたりでしょうか。google map 北海道サロベツ付近へのリンク

建物はおろか電柱すらない、数キロ続く直線を逃げ水(蜃気楼の一種)だけを追いかけて走ります。何も言葉が出ない、あっけにとられる壮大な風景です。「バイクに乗ってて良かった」と思える道の一つですね。バイクが「離陸」してしまうのではないか、という錯覚に陥ります。
筆者が子どもの頃は狭い砂利道で、冬は通行ができないひどい道でした。
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稚内方向を走ると、左に日本海と利尻富士(利尻島)を望みます。天気が悪い事が多いので、こんな風景を見られるのは幸運なことです。
標高1721mの利尻岳がそのまま島であり、海にニョッキリそびえる風景は「最果てだなー」と感じます。日本アルプス3千メートル級の山々と比べると低い標高ですが、海上の独立峰、北緯45度という高緯度、強い季節風などの要素から、険しさ厳しさはひけをとらない山です。

冬季は、本格的な登山用具で頂上を目指す登山家たちや、ヒマラヤなどへ遠征の訓練をおこなうため山岳のプロがよく訪れるそうです。ひとたび天気が荒れると極地なみの環境に変化し、遭難して死亡事故となる例も少なくないようで、日本で最も厳しい山との説があると聞きます。

この道も夏は牧歌的で雄大、素敵な風景ですが、冬の顔は豹変しブリザード吹き荒れる日が多くなります。このため道路上に緊急避難用のシェルター(カマボコ型のドーム)が設置され、進退きわまった時には車ごと逃げ込むようになっています。
近年、厳冬期のここを北上し、宗谷岬で新年を迎えるバイカーが増えています。ここで生まれ育った筆者にとっては正気の沙汰とは思えませんが、天気が良ければ冬は冬で神秘的な光景に出合う事もあります。
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ロール状の物体は、牧草を乾燥させたものです。1つあたり300kg以上の重さがあります。牧草地は牛を放牧させる目的もあり、冬季間の飼料を栽培する場所でもあります。
牧草地に入り込むのは畑を踏み荒らすのと同じ事、と肝に銘じておきましょう。近年、バイクを乗り入れたりし、バイカーの評判が悪くなっているようです。
ロールはこのまま乾燥させたり、ビニールで包んで発酵させたりし冬季まで保存します。昔はどの農家にも塔状の「サイロ」があり、その中で発酵させましたが、近年はビニール包みにとって代わられサイロもめっきり見かけなくなりました。

この道路と並走するように、JR北海道 宗谷本線のレールがあります。これまた最北端の駅を目指す「鉄」たちには特別な路線です。
少し高台の、利尻を望む地点に差し掛かると列車は徐行運転を始め、乗客たちに最高の風景をプレゼントします。鉄道の世界でも"全国の絶景車窓ベスト10"常連の最果て景色でした。

続く (頑張ります・・・)

話題の"体感型"アニメーション映画「REDLINE」タイアップキャンペーンスタート!

2010-09-08

製作期間7年、作画枚数10万枚-。
CG全盛の時代に、あえて手描きにこだわった究極のアニメーション映画『REDLINE』公開を記念して、By-Qでは「REDLINEタイアップキャンペーン」を実施します。

映画オフィシャルサイトhttp://red-line.jp/でトレーラーをみる事ができますが、PCの画面上でもすごい!音楽もすごい!
コンピューターグラフィックの技術をほとんど使わず、手描きでの映像は必見です。
ぜひ映画館で観たいものです。movie日本のアニメーションはやっぱりスゴイなー、とつくづく思います。

声優陣も豪華です!木村拓哉さん、蒼井優さん、浅野忠信さんなど。試写会も始まっており、前評判もかなり高いようです。

街中では、映画の告知広告を掲載したBy-Qのバイクが走り回り始めました。

By-Qのウェプサイトでもキャンペーンページを開設いたしました。全ての作業が終わり、本日更新いたしましたのでどうぞご覧下さい!!

「REDLINE×By-Q」タイアップキャンペーンでは、非売品の超レア『携帯マスコット』や試写会!招待券のプレゼントがあります。
ふるってのご応募をお待ちしております。


By-Q公式ウェブサイト http://www.by-q.co.jp/

REDLINE×By-Qタイアップキャンペーンページ http://www.by-q.co.jp/redline/


REDLINEオフィシャルWEBサイト

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